
ばらもん。って気持ち悪い人じゃないかな?
上記のお悩みを解決します。
- ばらもん。の生き様を詳しく解説
- 本記事を書いているのが『ばらもん。』自身
- ばらもん。のことを詳しく知りたい方
- ばらもん。のことが詳しく理解できます
それでは、本題に入ります。
実家は遠方×義母は他界=頼れる人はいない

はじめての記事を書きます。

ばらもん。です。
少し怖い?ハンドルネームなので変えようか悩み始めました。
『 。』を忘れないでね。『ばらもん。』
私の実家は遠方×義母は他界=育児を頼れる人はいない
義父は1型糖尿病を患っています。
ある事故の後遺症で、自分で血糖値測定やインスリン注射ができなくなりました。
そんなこんなで私達には、頼ることができる家族はいません。
市の産後ケアを利用しています。

長男が新生児のときには、アドバンス助産師さんがお家にわざわざ来てくださいました。
沐浴指導に加えて、育児相談もしてくださいました。
さらには、私が出張で家をあける時などはアドバンス助産師さんが手作りのお弁当まで持ってきてくださいました。
とても感謝しております。
私たちは、周りの方々のサポートのおかげもあって今に至ります。
里帰り?なにそれ?美味しいの?
長男は12月生まれです。
産後に病院を退院してすぐに、凍える社宅に帰りました。
私が仕事に出ている日中は、妻は息子と2人きり。
長男は、布団に下ろすとすぐに泣き始めるので、妻はずーーーーっと抱っこしていました。
仕事に行くときに、

行ってきます
と妻に言いました。
夕方に仕事から帰ってくると・・・・。
うす暗い部屋の中・・・妻は長男を抱っこしています。
妻は遠くを見つめてボーっとしています。

大丈夫?
妻は疲弊しきっていました。
聞いてみると、朝から夕方まで同じ姿勢でいるとのこと。
私は気づくことができませんでしたが、産後うつだったのかもしれません。
4階から飛び降りたらどうなるのかな
妻の言葉になんと返したら良いのか分かりませんでした。
2人で育児に相当悩みました。
2人で育児に相当苦労しました。
しかし。アドバンス助産師さんや市の産後ケアのおかげで、つらい育児を乗り切ることができました。
ちなみにですが、私も妻も子どもは2人望んでいました。
これだけのしんどい思いを”また”すると思うとひとりっ子でもいいと思っていました。
夫婦共働きです。 妻もフルタイム正社員です。
そして、幸いにも2人目にも恵まれて、現在しんどい思いを繰り返しています(笑)。
噂には聞いていたように、2人目は精神的余裕があります(体力は余裕ない・・・)。
私たち夫婦は、育児に
- 悩んで
- 調べて
- 試して
- 失敗して
- 解決して
ここまでやってきました。(現在進行系)
これらの経験が、育児で困っている方々に少しでも参考になればいいと思い当ブログを立ち上げました。
育児をすることで得た知識・経験を皆さんにも発信していきたいです。

よろしくお願いします。まずは、私がどんな人物なのか自己紹介しておきます。
道後温泉の近くでおぎゃー


自己紹介です
誕生から~幼稚園年中頃
私が誕生したのは、「道後温泉」や「坊っちゃん」が有名な愛媛県松山市です。
ちょうど秋祭りの真っ只中だったらしいです(母親談)。
先生たちからも、祭りが見たいからか、

はよ産め!はよ産め!
って言われたそうな笑。
熱気がかなりすごいです。

興味のある方はようつべで検索してみてね
お祭りの最中に生まれた私はお祭りは好きか?

普通だよ

年長~高校卒業まで

年長に上がるときに、引っ越しをしました。
引越し先は山の上です。
自転車で下るときは車と同じくらいスピードが出ます。
かなり危ないです。
数年前には交差点で自転車と車がぶつかり、自転車の大学生が死亡する痛ましい事故も発生しました。

亡くなったのは私の友だちの妹さんでした
事故以降、交差点には一旦停止の表示・標識が整備されました。
たまに実家に帰るのですが、交差点にはいつ見ても綺麗なお花が添えられています。
私も自転車(時速30キロほど)で壁にぶつかって、死にかけました・・・。
親が教育熱心だった

小2から中学3年までは、イヤイヤながら塾に通っていました。
小2の頃の記憶で覚えているのは、

カタカナの「ヲ」ってどうやって書くんだっけ~?
ってひたすら悩んでいたことです。
塾では、いつも『ぼっち』でした。
周りの子たちは休憩時間に、集まってふざけたりしているのに私だけぽつんと座っています。
まじめくん
って、からかわれていました。
小学校~中学校は週に2~3回塾に通っていました。
夏休み・冬休みはそれぞれ夏期講習と冬期講習行きました。
中学に進学すると日曜教室というものがありました。
日曜日の9:00~17:00まで全教科の授業を受けました。

国語、数学、理科、社会、英語・・・
頭が良くなったか?
なっていません。
嫌々受けていたからか全然頭に入っていないという・・・。
親になって思うけど、塾って費用がバカにならないんですよね。
2つ上の兄も同じくらいの期間、塾に通ってたので結構な費用がかかったことでしょう。
私も子どもたちに同じようにするのだろうか?

しません
なぜか?
答えはシンプル。
自分がしんどかったから。
まぁ、結局は本人のやる気次第ですけどね。
ナイストゥミーチュー ヴィンセント

高校に進学してからは、通っていた塾は辞めました。
代わりに外国の先生とマンツーマンでお話ができるところに通い始めました。
なぜか?
センター試験でリスニングがあったからです。
名前はヴィンセント先生って言います。
ラストサムライに出てくるトム・クルーズばりにイケおじでした。
回数を重ねるごとにどんどん、ヴィンセントの魅力に惹かれていきました。
ここだけの話、恋をしていたのかもしれません。
英会話教室(と言っても、おうちの一角)はエレベーターで5階にあります。
別れ際には、エレベーターのドアが閉まるまでヴィンセントは手を振ってくれました。
1年くらい通ってから、英会話の講座を辞めました。
お家でヴィンセントからもらった教材(CD)をひとりで聴いては泣いていました。

ヴィンセントォ~涙
変態です。
たまには、友だちと遊ぶことを優先して英会話をサボることもありました。
そのときは電話で、

アイ キャント ゴー トゥデイ ソーリー(棒)
友だちの横でこれを言うのが恥ずかしかったです。
英会話に通っててそのレベルなの?って笑われてました。
英会話をサボるときにヴィンセントにいちどだけ嘘をついたことがあります。
私は次の週まで、嘘をついたことをものすごく後悔しました
そして、次の週の英会話当日。

私は嘘を付きました。ごめんなさい。この前休んだ理由は友だちと遊びたかったからです
私は泣きそうになりながら、暗記した英語で必死に伝えました。
ヴィンセントは英語でなにか返事してくれたけど、よく分かりませんでした爆。
そもそもちゃんと伝わってたのかな・・・。
元気かな、ヴィンセント先生。
またどこかで会えたらいいな。
教育熱心な親のおかげで受験という受験にはすべて一発合格しました。
しかし、友だちが遊んでいる姿が羨ましかったのを覚えています。
中学受験:校区が違うところになったので、小学校で仲が良かった友達とお別れをしました。
高校受験:「がんばっていきまっしょい」で有名な高校に進学しました。
大学受験:友だちと同じ大学に行きたいという理由で、某国立大学を受験して合格しました。
・ ・ ・ が
友だち3人で受験したうち1人の友だちが不合格となりました。
不合格となった友だちは予備校に通うことになりました。
その友だちは中学校1年のときから仲の良かった友だちだったので、私もかなり落ち込みました。
無事に私とMたけさんは大学生になりました

中学校1年からの親友(以降Uたん)は、同じ某国立大学を受験して不合格となりました。
Uたんは、同じ県内の予備校に通うことになりました。
私の下宿先から予備校まで自転車で1時間はかかりますが、差し入れを持って夜な夜な通っていました。
自分でも変態だと自覚あります。
Uたんも嫌がっていたことでしょう。
もし、このブログを読んでいたら、聞いてください。

ごめん、わざとじゃないんよ
予備校の先生に見つからなくてよかった。
かくいう私は、キャンパスライフがスタートしました。
コミュ障の私は、友だちを作ることが苦手です。
しかし。
学部の集いに初めて参加したときに運命の出会いを果たします。
ガイダンスの目の前の席に座っていた、長身のメガネの知的な雰囲気の人(以降Yなかさん)が振り返り私に声をかけてくれました。
大学の3年間(なぜ3年間なのかは後述します)Yなかさんと行動をともにするようになりました。
このYなかさん。
実はすごいお方でした。
Yなかさんとの出会い

私に声をかけてくれた、Yなかさん。
- 長身(180センチくらい?)
- メガネ
- 5歳年上
- サッカーが上手
- 知的な雰囲気が漂う
ガイダンス終了後にYなかさんに話を聞きました。
- この大学が2つめ
- 中田英寿の本を読んで、人生観が変わり大学を辞めた
- センター試験の勉強をもういちどやり直して、この大学に来た
Yなかさんからは、大学生の必需品とも言っても良い、
- 麻雀
- ウイイレ
- たばこ
を教えてもらいました。
Yなかさんは勉強もすごいできる人です。
お部屋に遊びに行くとたくさんの本が置かれていました。
おもしろい話も私によくしてくれました。
部屋にテレビなんてありません。
ベット、テーブル、本、が置いてあるシンプルなお部屋でした。
Yなかさんは、早期卒業制度を利用して3年で大学卒業しました。
早期卒業制度を利用して卒業したのは、通っていた国立大でYなかさんが初めてでした。
Yなかさんの成績表を見たことがありますが、すべて「秀」(最も良い)です。
卒業要件を満たす単位数を取るために他学部の講義も受講していました。
Yなかさんは、将来「大学教授」になりたいと言っていたような気がします。
Yなかさんは、ウイイレもむちゃくちゃうまいです。 ハンデをいつもくれます。
徳島ヴォルティス(Yなかさん) VS バルセロナ(私) 私がいつも負けます。
徳島ヴォルティスは、地元だそうです。
- 麻雀の楽しさ
- ウイイレの奥の深さ
- たばこの吸い方
Yなかさんと出会うことで、私の大学生活はとても豊かなものになりました。
ほんとうに感謝しています。
久しぶりに連絡取ってみようかな。
アルバイトしる!


学生時代に経験したアルバイトをご紹介します
短期バイト(大学1年生の頃)
- 引っ越しの手伝い
- 会場設置の手伝い
- 店舗移転の手伝い
色々なお手伝いをしました。
なかでも記憶に一番残っているのは、AVを手当たり次第に段ボール箱に詰めたことです。
TSUTAYAの店舗移動のお手伝いで、私が配属されたのが「AVコーナー」でした。
真面目な私は、このコーナーに入ったのはもちろん初めてです。
両手にAVを鷲掴みして段ボールに詰めていきました。
夜から明け方にかけての作業でしたが、なぜか眠くはなりませんでした。
ホテルの接客(大学2年から~卒業まで)

大学2年の春。
大学のアルバイト求人にホテルの接客を見つけて、Uたんともうひとり(Oにしくん)面接に行きました。
結果は、3人ともアルバイト採用OK。
あ、Uたんですが、1年の予備校生活を終え、無事に大学合格しました。
晴れて?私と同じ大学生活を送ることになりました。
ホテルの接客のアルバイトの内容です。
- レストランの準備、接客、片付け
- 宴会の準備、接客、片付け
- 夏になればビアガーデンの準備、接客、片付け
とても楽しかったです。
私は、長続きしない方なのですが、卒業するまで続けることができました。
食事はバイキングなので、バイト終わりのまかないも充実しています。
君、卒業できないよ?

大学2年から始めたホテルのアルバイト。
一緒に面接を受けたOにし君は、1週間後に無断欠勤を続けて、そのままフェードアウトしました。
こんな斬新な辞め方もあると私は、驚きを隠せませんでした。
話は変わりまして、ホテルの社員さんに麻雀が好きな人がいました。
夜な夜なメンツを揃えて明け方まで麻雀に明け暮れました。
バイトが終わるのが22時頃です。
麻雀を22時~6時まで(8時間)。
週3、4回は麻雀に文字通り明け暮れていました。
- 朝6時頃:麻雀終わる
- 朝7時頃:家に帰って寝る
- 午前中の講義をサボる
- 夕方に起きてバイトに行く
- 再び、朝6時ころまで麻雀

模範的な大学生ですね
こんな生活を1年ほど続けていました。
大学3年の前期終了時に、学年担任から呼び出しを受けました。

単位が足りないから、4年生には進級できないよ。君の実家にも成績表送っておくから

っえ?実家に?\(^o^)/オワタ
いざ!私の本気

単位が足りないので4年生に進級できないと言われた私。
学年担任から、実家に成績表を送ると言われた数日後に実家から電話がかかってきました。
もちろん、父親です。
父「誓約書を書け!『私は絶対大学を卒業します』、と書いて送れ!捺印もしとけ!」
父は厳しい人です。
こうなることは予想できていました。
この電話のおかげで私は覚醒しました。パッチリ。
3年生後期の授業を月~金でフルコマ(1コマ~5コマ)で授業を組みました。
- 自分の学部の講義だけでは足りない=違う学部(法学部)で民法を受講
- 自分の学年の講義だけでは足りない=フレッシュ1年生の講義を受講
- さらにさらに単位が欲しい=某有名ドリンクメーカーにインターンシップ参加で単位ゲット
この半年はむちゃくちゃ忙しかったです。
おかげで4年生に進級もでき、単位にも余裕が生まれました。
大学4年生~就職

就活です。
私は内定をなかなか頂くことができません。
Mたけさんは、いくつか内定をもらっていました。
しかし、納得がいかないらしく、もう1年公務員試験勉強をすることにしました。
→翌年に年収ランキング上位の市役所に内定(大学事務員の内定ももらっていた。すごすぎ。)
私は、就活を諦めかけていました。
ニュージーランドへの留学(逃避行)を本気で考えて、ゼミの教授にも相談していました。
しかし、大学からある企業の紹介を受けました。
面接に行くとトントン拍子に進み、内定を頂きました。
現在務めている会社です。
入社して3年目のときに、同じ部署の女性と社内結婚をしました。
2人の子どもにも恵まれました。
いままでの道のりは、この子たちに出会うためのプロセスでした。
ざっと経歴はこんな感じです。
私がどんな人物なのか少しでも分かって頂けたでしょうか?
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。(最後、駆け足すぎですね笑)。以上です。